大学生になって今までよりも一層友だちと喋り続けることにのめり込んだのは、進学した大学の環境によるものが大きいように感じます。おそらく本来の実力では行けることがなかったであろう大学に、幸いにして高校3年間の成績がよかったために受験できた推薦入試で合格という、細い糸を手繰るような方法で進学できたおかげで、僕の視界は思い切り広がりました。僕の進学した大学は県外出身者が占める割合が多く、はじめましてで仲良くなっていく人ひとりひとりのバックボーンが違いすぎて、自己紹介だけでも楽しいくらいでした。実際、一番最初に話かけてくれた同じ学部の女の子は東京在住の帰国子女で、初見の相手に対して別れ際にハグをしてきたので、びっくりしたのを今でも覚えています。僕のこれまでの拙い人生経験のなかでそんな距離感のコミュニケーション手段は存在しませんでした。「絶対これから楽しくなるだろうな」とこれから待ち受ける大学生活に文字通り胸躍らせていました。
大学はとにかく人が多く、同じ学部の同級生と所属したサークルの仲間を合わせたら「友だち100人できるかな」の比じゃないくらいに1年生のあいだにたくさんの友だちができました。そのひとりひとりが優秀で、何かに秀でた部分や魅力を持っていて、毎日通うキャンパスはキラキラしていました。たまたまある講義で隣同士だったから、食堂で一緒のテーブルだったから、そんな些細なきっかけから相手のいろんな話を聞いている時間がとても愛おしく思えたものです。当時はしきりに「1日24時間じゃ足りない!」って周囲に言っていたような気がします。
対話をしていると自分のなかであるイメージが浮かびます。それは、様々なバックボーンを持った人といろんなジャンルの話をあっちいったりこっちいったりしながら続けるうちに、会話の地層のようなものが積み重なっていって、だんだんと僕にとっての相手の像が出来上がるようなイメージです。僕にとってのあなた、が積み重ねた会話分、くっきりと出来上がっていきます。それは自分だけが見ることができる宝物のような気がしていました。言い換えれば、僕だけが知っているあなた、という存在。
いま、大学時代に戻ってあの頃知り合ったみんなの会話や対話をもう一度手にすることができたら、どれだけ嬉しいことでしょう。